元和三年(1617年)、細川忠興公により御創建され豊前総鎮守小倉祇園八坂神社と称えられる当社は、平成二十九年に御創建四百年をお迎えいたします。

八坂神社の縁起

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001002003004 「小倉のぎおんさん」と親しみを込めて呼称され、七月に斎行される例大祭(小倉ぎおんまつり)は「太鼓の祇園」としてその名を馳せています。
 関が原の合戦で徳川家康に従い、多大な勲功のあった細川越中守忠興公は慶長六年(1601年)に豊前一国と豊後二郡の合わせて三十九万九千石の大大名として入国されました。その細川公が元和二年の秋、勝山城(小倉城)の西方にある愛宕山にて鷹狩の時、山の頂上で一基の苔むした石の祠(ほこら)があるのに気づき、中を覗こうと開けようとして群れ出た蜂に刺されたのです。公は痛みに苦しみ、家臣達はあわてて城につれ帰り、御殿医師の手厚い看護を受けましたが失明同然となったのです。
 公は深く恐れいり、家臣に命じ祠の由緒(いわれ)を調べさせたところ、須佐之男命を祀ってあることがわかり、生国京都の祇園社と同じ御祭神なので改めて城下の土地(鋳物師町)に神殿を造営しました。南殿に愛宕山(不動山)の祇園社を遷宮し、篠崎八幡宮の宮司川江左衛門橘種茂を大宮司として奉職させ、通称「口の宮」と言いました。対し北殿は当時三本松に鎮祭されていた祇園社を併祗申し上げ、蒲生八幡の宮司高山孫太夫定直を大宮司として奉職させ。通称「奥の宮」と称しました。元和三年(1617年)二月起工し、同九月竣工、同月十一日に眼病平癒の「願解」の祭典を盛大に催しました。この時の祭典は主として「能」を奉祭したので秋祭り「神事能」として大正末期まで継続されました。

小倉祇園 八坂神社

小倉祇園社の現在の正しい名称は八坂神社です。元和三年創設当時は小倉祇園社感応院と称し、寛永九年十二月(1632年)小笠原忠真公が藩主となってからもそのまま小倉城の守護神として尊崇され、あわせて領内の総鎮守として明治四年(1871年)廃藩置県の新制度施行まで続きました。
 また、有栖川宮熾仁親王が、初代福岡県令として赴任の途中、参拝され京都の八坂神社と御祭神が同じ須佐之男命であるところから「八坂神社」の神号を親しく書き与えられたと言うことです。御本社の幣殿と正門の大鳥居に掲げられている神額の文字は有栖川宮様の御親筆の写しを刻んだものです。
 昭和九年七月八日、鋳物師町より勝山城北の丸(二の丸)後に遷宮せられ今日に至っています。
 主祭神の須佐之男命様の他十二柱の神々の御神徳は、厄除け・疫病退散・商売繁盛・家内安全・産業隆昌・縁結び・縁切り・陸海空交通安全・芸能上達・五穀豊穣・医療医薬・温泉の神・禁厭・学問・酒造りと広範囲に渡ります。

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